ドイツ近世史(課題版)

中山 元

12 1648年以後の帝国と領邦

12.1 フランスのヘゲモニーと帝国
12.1.1 ヴェストファーレン条約以後の帝国
▼この条約がドイツにもたらした影響
▼帝国の化石化
▼神聖ローマ帝国の異様なり方
▼外国の干渉の権利
12.1.2 フランスのドイツ政策とライン同盟
▼フランスのドイツ干渉の三つのルート
▼ライン同盟の役割
12.1.3 帝国、帝国議会とフランス外交
▼帝国代表者会議の役割
▼皇帝と帝国の二つの最高裁判所
▼領邦絶対主義への道
▼レーゲンスブルクの帝国議会
▼帝国軍制改革のもたらしたもの
▼帝国議会におけるフランス公使の使命
12.1.4 フランスの侵攻
▼アルザス問題
▼ロートリンゲン問題
▼フランスのオランダ戦争
▼アルザスのフランス領化
12.1.5 プファルツ新興と帝国
▼プファルツ継承戦争
▼ライスワイク条約
12.2. オーストリアの興隆
12.2.1 1848年以後のオーストリア
▼オーストリア絶対主義の特徴
▼プロテスタントの再カトリック化
▼ハンガリーにおけるプロテスタントの迫害
▼クルツの反乱
▼オーストリアの中央官庁の整備
12.2.2 トルコ戦争
▼トルコ軍によるウィーンの包囲
▼キリスト教世界の防衛
▼神聖連合
▼トルコ軍の敗北
12.2.3 オーストリア・ハンガリー統合君主国
▼オーストリアの地位の確立
▼オーストリアの絶対主義と重商主義
12.2.4 スペイン継承戦争とプリンツ・オイゲン
▼スペイン継承戦争の始まり
▼オイゲンの奮戦
▼プリンツ・オイゲンの時代
▼ルイ十四世の譲歩
▼カール六世の即位
▼ユトレヒト条約
12.2.5 カール六世の時代
▼ユトレヒト条約のもたらしたもの
▼パッサロビッツ条約
▼カール六世の課題
▼ネーデルランドの状況
12.2.6 プラグマティッシェ・ザンクツィオン
▼オーストリアの相続問題
▼国事詔書
▼オーストリアの譲歩
12.3. 中小の両方の世界
12.3.1 帝国等族
▼帝国等族と帝国騎士
▼選帝侯の変動
12.3.2 聖界の諸侯
▼聖界の諸侯の絶対主義
▼シェーンボルン家
12.3.3 世俗諸侯
▼ハノーファー侯国
▼ファルツとマンハイム
▼バイエルンの絶対主義
▼ポーランド
▼ヴェルテンベルク公国
12.3.4 帝国都市
▼帝国都市の特性
12.3.5 小邦と帝国理念
▼小邦と帝国の総合的な関係
▼ライプニッツの政治思想
12.4. 社会と文化
12.4.1 農村と領主制
▼農民の隷属
▼ドイツの領主制の分類
▼北西ドイツ型と西南ドイツ型の違い
▼ドイツ西部における農民の自家経営
12.4.2 都市
▼絶対主義時代の都市の特徴
▼宮廷都市
▼都市の自治権
12.4.3 カメラリスムスと国庫学
▼カメラリスムスとは
▼国内政策
▼財政問題
▼ポリツァイ学の課題
12.4.4 啓蒙の国家学
▼啓蒙主義の国家学の課題
▼トマジウスの国家論の目的
▼ヴォルフの国家論の目的
▼ユスティの国家観
12.4.5 敬虔主義
▼敬虔主義とは
▼ルター派の「石の教会」
▼シュペーナー
▼ツィンツェンドルフ伯爵
12.4.6 バロック時代の文化
▼ドイツのバロック建築
▼キリストのバロック宮殿
▼音楽と文学
▼バッハ
▼ドイツ語純化運動
〇同時代人の神聖ローマ帝国観
▼プーフェンドルフ
▼怪物に似たるもの
▼ヘーゲルの宣言
▼ヨーロッパ統合のモデルとしての帝国
▼サンピエールの永遠平和
▼ルソーの永久平和論

13 プロイセン絶対主義

13.1. フリードリヒ・ヴィルヘルムと権力国家への道
13.1.1 フリードリヒ・ヴィルヘルムの登場
▼プロイセン近代史の三つの時期
▼第一期の基本精神
▼君主の役割
▼領邦国家の課題
▼第二期の目的
▼フリードリヒ・ヴィルヘルムによる転換
▼第二期のきっかけとなる二つの出来事
▼プロイセンの危険な位置と軍事的な性格
▼カルヴァン主義と君主
▼ジギスムントのカルヴァン主義への改宗
▼ヴィルヘルムの改革
▼三十年戦争の教訓
13.1.2 等族との対決
▼ヴィルヘルムの常備軍と租税
▼選帝侯と等族の闘い
▼1653年の領邦議会協定
▼第一次北方戦争とプロイセンにおける主権の獲得
▼軍隊維持のための恒常的な租税の徴収
▼一元的な絶対主義的統治体制の基礎
13.1.3 権力国家への道 軍隊、租税、官僚制
▼傭兵から常備軍へ
▼全国家的な軍隊の成立
▼軍事税としての恒常的な租税
▼官僚機構の発展
▼保有官僚と委任官僚
〇プロイセンという名称とその領土的発展
▼プロイセンとは
▼広義のプロイセン
▼領域的発展
▼ヴェストファーレン条約による領土の拡大
▼シュレージエンの獲得
▼ポーランド分割
13.2. フリードリヒ三世/一世とプロイセン王国の成立
13.2.1 フリードリヒ三世/一世の政治
▼フリードリヒ三世の功績
▼国王フリードリヒ一世の側位
13.2.2 学問と芸術
▼ハレ大学の設立
▼敬虔主義
▼自然法思想と啓蒙思想
▼ライプニッツ
▼ベルリン学術アカデミー
13.3. フリードリヒ・ヴィルヘルム一世と軍事官僚国家
13.3.1 フリードリヒ・ヴィルヘルム一世の登場
▼国王の統治の意義
▼国家の構造的変革の実現
▼プロイセン精神の確立
13.3.2 軍隊
▼プロイセン軍の創始者
▼巨人軍隊
▼兵力の飛躍的な増大
▼将校団の改編 国家官僚化
▼募兵制
▼カントン制度
▼ヨーロッパ最大の軍事国家
13.3.3 財政
▼総請負制
▼御料地の拡大
▼貴族の租税負担
▼極端なまでの倹約
13.3.4 行政機構
▼御料地の財政と軍の財政を担当する二つの中央官庁
▼総管理府による統一
▼絶対主義的統治の限界
▼プロイセンの絶対主義的統治体制
13.3.5 重商主義的経済政策
▼国土開発
▼ユグノーの招聘
▼保護貿易政策
13.3.6 文化と外交
▼文化と外交における特徴
〇絶対主義の概念と見解
▼絶対主義の概念
▼近代国家の第一段階としての肯定的な評価
▼マルクス主義の階級均衡論
▼絶対主義の限界
▼絶対主義の中の非絶対主義的なものえの注目
▼社団国家
▼社会的規律化
13.4. フリードリヒ二世と啓蒙絶対主義
13.4.1 フリードリヒ大王の即位
▼フリードリヒ大王の功績
▼軍事力の強化
▼シュレージエンの獲得
13.4.2 1746年から1756年まで
▼国内の行政機構の改革
▼国民経済的観念の重視
▼司法権の独立を目指した改革
▼王の経済政策の原則
▼新しい軍事戦略
13.4.3 七年戦争以後
▼戦後の最大の課題
▼財政改革
▼干拓事業と運河の建設
▼貴族保護政策
▼教育の国家化
13.4.4 司法改革
▼第二次司法改革
▼プロイセン一般ラント法
13.4.5 啓蒙絶対主義
▼その国家観と君主観
▼大王の社会契約的な国家観
▼制度としての国家
▼社会契約説による統治の根拠づけ
▼宗教的な寛容政策
▼国民の利益の重視
▼司法の独立
▼啓蒙絶対主義の限界
▼身分制の維持方針
▼三身分への依存
〇フリードリヒの青年時代、父子関係
▼フリードリヒの教育
▼父子関係の対立
▼マキアヴェッリ論の執筆
〇製粉業者アルノルト訴訟事件
▼アルノルト訴訟事件とは
▼国王の干渉
13.5. グーツヘルシャフトの形成と発展
13.5.1 ユンカー
▼ユンカーとは何か
▼ユンカーの形成過程
▼三つの側面
 貴族の農民支配の法的な側面
 直営地経営の発展をめぐる経済的な側面
 国家における貴族の機能をめぐる政治的な側面
13.5.2 植民期の貴族農民関係
▼自由な農民としてのユンカー
13.5.3 中世後期
▼貴族の公的な権力の獲得
▼領主制の危機による農民の地位の低下
▼貴族と都市のフェーデ
▼農民の土地への緊縛
13.5.4 グーツヘルシャフトの成立
▼中世的な騎士からユンカーへの変身
▼直営地の拡大
▼農民保有地の併合
▼大規模な農民追放
▼農民の賦役による労働力の確保
▼奉公人の役割
▼貴族、資本主義的な農業企業化に転身
▼グーツヘルシャフトとは
13.5.5 国家内の国家
▼領主による農民の支配
▼領主裁判所
13.5.6 貴族の代表機関
▼郡議会
▼州における等族機関の役割
▼絶対主義国家の不完全さ
13.5.7 貴族と国家
▼国家において貴族が果たす役割
▼貴族の将校化
▼貴族の行政官僚機構への進出
13.5.8 グーツヘルシャフトの変質
▼国による農民保護政策
▼農業経営の近代化
13.5.9 社会の軍事化
▼農村に生きる兵士
▼予備軍の登録制度
▼貴族の支配権の空洞化

14 二大国の対立と帝国

14.1. マリア・テレジアと二つの戦争
14.1.1 カール六世晩年のオーストリア
▼ウィーンの栄光の衰え
▼マリア・テレジアの即位
14.1.2 オーストリア継承戦争
▼フリードリヒ二世の異議
▼諸国の介入
▼ハンガリー貴族の大衆決起
▼神聖ローマ皇帝の即位
▼第一次シュレージエン戦争の終わり
▼マリア・テレジアの戴冠式
▼第二次シュレージエン戦争の始まり
▼アーヘンの講和条約
14.1.2 マリア・テレジア治世における内政改革と外交
▼行政改革
▼租税改革
▼外交政策の基調
▼フランスの外交革命
▼プロイセン包囲網の完成
14.1.3 七年戦争
▼フリードリヒの苦戦
▼ロシアの政変と終戦
▼ドイツにおける二元主義の成立
〇七年戦争の戦争責任
▼七年戦争の性格
▼征服戦争か
▼防衛戦争か
14.1.4 マリア・テレジア治世おける改革第二期
▼ヨーゼフ二世の即位
▼国家官僚と官僚制の誕生
▼カトリック教会の規制
▼教育改革
▼改革の二つの目的
14.2. 絶対主義的改革の時代
14.2.1 啓蒙絶対主義とヨーゼフ主義
▼啓蒙絶対主義の概念
▼ヨーゼフ主義とは
▼第一波の改革
14.2.2 ヨーゼフ二世の改革
▼宗教・教会政策
▼修道院の廃止
▼オーストリアの国家協会主義
▼死刑制度の廃止
▼農民の体僕制の廃止
▼改革の招いた混乱
14.2.3 中小諸邦の改革
▼ザクセン選帝侯国の改革
▼農法改革
▼バーデンの改革
▼ヘッセン−ダルムシュタットの改革
▼名君
▼兵士貿易で有名なヘッセン−カッセル方伯
▼改革の時代の行き詰まり
▼ヴェルナーの反動
14.3. ドイツの二元主義と帝国
14.3.1 18世紀の帝国
▼帝国の存在価値
▼皇帝と帝国
▼フランスの役割
▼ドイツによる帝国の支援
14.3.2 ヨーゼフの権力政策とバイエルン継承戦争
▼ヨーゼフ2世の権力政策の表れ
▼第1次ポーランド分割
▼バイエルンへの侵入
▼じゃがいも戦争の成果
14.3.3 諸侯同盟
▼ヨーゼフの夢
▼諸侯による連合
▼カール・アウグストが目指したもの
▼プロイセンの課題
▼ドイツ諸侯同盟の成立
14.3.4 ヨーゼフ晩年のオーストリア
▼トルコ戦争
▼ハンガリー状況
▼ネーデルランド情勢
14.4. フランス革命とドイツ 帝国の終焉
14.4.1 革命の反響
▼フランス革命への熱狂
▼ドイツの現状への不満
▼恐怖政治と革命への憎悪
▼ドイツのジャコバン狩り
14.4.2 干渉戦争
▼ピルニッツ宣言
▼フランスの宣戦布告
▼ゲーテの証言
▼ヴァルミーの決戦
▼フランスとの講和と帝国の分裂
〇反革命宣言と亡命者
▼ピルニッツ宣言の実際の意味
▼エミグレ
▼亡命フランス宮廷
▼フランスの好戦派
▼イデオロギー戦争
▼ブラウンシュヴァイク宣言
14.4.3 ドイツ・ジャコバン派
▼ザクセンの農民蜂起
▼ジャコバン派の裁判
▼マインツ共和国の成立
14.4.4 世俗化と陪臣化
▼カンポ・フォルミの講和条約
▼世俗化の原則
▼陪臣化の原則
▼ドイツの領域地図の書き換え
▼領邦の領土拡大
14.4.5 ライン連盟と帝国の終焉
▼第二次ライン同盟の成立
▼帝国からの分離
▼神聖ローマ帝国の終焉

15 十八世紀ドイツの文化と社会

15.1. 十八世紀の時代意識
15.1.1 「はざま期」としての十八世紀
▼1750年前後の社会構造の変化
▼はざま期における二つの世界の共存
▼近代の概念
15.1.2 生活世界の変化
▼人口の増大
▼農業運動の時代
▼農業趣味
▼問屋制の発達
▼ブルジョアジーの出現
15.1.3 変わりゆく時代への対応
▼フンボルトの主張
▼保守主義の誕生
15.2. 啓蒙の世紀
15.2.1 啓蒙と公論
▼カントの「啓蒙とは何か」
▼メディアの役割
▼「一般ドイツ文庫」と「ベルリン月報」
▼政府の検閲とその無力
15.2.2 書籍出版と読者層
▼ラテン語書籍の衰退
▼神学関係図書の衰退
▼海賊版と著作権
▼回し読み
▼読書クラブ
15.2.3 識字率
▼ドイツの成人男子の識字率
▼フランスの識字率との比較
15.2.4 ドイツの政治的分裂と国民教育
▼初等教育の普及
▼プロテスタント諸国の先進性
15.3. 大学と知識市民層
15.3.1 大学の革新
▼ドイツの大学の学問水準
▼アカデミーの設立
▼大学の改革
▼ゲッチンゲン大学
▼ケーニヒスベルク大学
▼政府の奨学制度
15.3.2 知識市民層
▼完全市民
▼新しい市民層
▼第三身分と官吏
▼中間身分の概念
▼第三身分の原理
▼文筆家の実態
15.4. 啓蒙とコミュニケーション
15.4.1 手紙と旅
▼市民的公論とは
▼コミュニケーション網
▼書簡の交換と旅行
〇メーザーとピルモント
▼第一の保養地ピルモント
▼メーザー・サークル
15.4.2 秘密結社
▼フリーメイソン
▼イルミナティ
▼バラ十字会
15.4.3 公共的な諸団体と読書クラブ
▼愛国的な団体の設立
▼その役割
▼団体の機能
▼読書クラブの目的
▼読書クラブの原則
〇ベルリンの啓蒙社会とメンデルスゾーン
▼ニコライの書評専門誌「一般ドイツ文庫」
▼メンデルスゾーンの思想 
▼ユダヤ人解放への貢献
▼メンデルスゾーンの子供たち
〇ウィーンの音楽生活
▼パトロンとしての大貴族
▼モーツァルト
▼ベートーヴェン
15.5. ドイツ的な新潮流
15.5.1 「ドイツ運動」
▼ドイツ運動の時代とは
▼ゲーテとシラー
▼カントからヘーゲルまで
▼メイザーやヘルダーによる歴史的世界の再発見
▼ウィンケルマン
▼フンボルトの言語研究
▼ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン
15.5.2 フランス文化とドイツ文化
▼フランスの文化的な支配からの独立
▼ヘルダーの民族文化への注目
▼疾風怒濤時代の幕開け
▼フリードリヒ二世によるドイツ言語文化の改善
▼メーザーの反論
15.5.3 文化的な国民意識
▼ドイツの文化的な覚醒
▼ドイツにとってのルソーとディドロの意味
▼新しい手本としてのシェイクスピア
▼ドイツ人としてのルソーとディドロ
15.5.4 文学の新潮流
▼三つの標識
▼疾風怒濤、古典主義、ロマン主義
15.5.5 疾風怒濤
▼疾風怒濤の意味
▼劇作品の特徴
▼啓蒙への批判
▼社会的な解放への姿勢
15.5.6 ヴァイマル古典主義
▼疾風怒濤の終焉
▼シラーとゲーテ
▼古典主義の特徴
▼ゲーテの政治社会観
15.5.7 初期ロマン派
▼シュレーゲル
▼フィヒテとシェリング
▼ノヴァーリス
▼古典主義の特徴
15.5.8 理想主義と新人文主義
▼ドイツ理想主義とは
▼ドイツ理想主義の課題
▼教養小説
▼新人文主義
▼ドイツのギリシャ学、ウィンケルマン
▼新人文主義の影響
15.5.9 カントの国家論
▼カントとフランス革命
▼カントの構想した国家の三つの原理
▼カントの共和政体の概念
▼カントの楽天主義

第一二章の課題

■課題一 文献(1)によって、この時代の国制の変化を跡づけよ。
■課題二 文献(2)、文献(3)、文献(4)によって、ドイツの絶対主義の特徴を考察せよ。
■課題三 ドイツの法制とポリツァイについて、文献(3)、文献(5)、文献(6)、文献(7)で調べよ。また、自然法については文献(8)を参照せよ。

文献(1)山本文彦『近世ドイツ国制史研究 皇帝・帝国クライス・諸侯』(北海道大学図書刊行会、1965年)
文献(2)成瀬治『絶対主義国家と身分制社会』(山川出版社、1988年)
文献(3)神實秀夫『近世ドイツ絶対主義の構造』(創文社、1994年)
文献(4)フリッツ・ハルトゥング他『伝統社会と近代国家』(岩波書店、1982年)
文献(5)ゲルハルト・エストライヒ『近代国家の覚醒』(創文社、1993年)
文献(6)村上淳一『近代法の形成』(岩波書店、1979年)
文献(7)フリッツ・ハルトゥング『ドイツ国制史』(岩波書店、1980年)
文献(8)ハインリヒ・ロメン『自然法の歴史と理論』(有斐閣、1956年)

第一三章の課題

■課題一 文献(1)、文献(2)、文献(3)などによってフリードヒリ大王の生涯と思想について考察せよ。
■課題二 プロイセンの絶対王政について、文献(4)、文献(5)、文献(6)、文献(7)などで確認せよ。ヨーロッパのうちでのドイツの絶対王政については、文献(8)と文献(9)を参考にせよ。絶対王政と法の関係について文献(13)を調べよ。
■課題三 ドイツ農業とユンカーについては文献(10)と文献(11)で調べよ。商業については文献(12)を確認のこと。

文献(1)飯塚信雄『フリードリヒ大王』(中央公論社、1993年)
文献(2)村岡晢『フリードリヒ大王研究』(培風館、1944年)
文献(3)村岡晢『フリードリヒ大王』(清水書院、1984年)
文献(4)上山安敏『ドイツ官僚制成立史』(有斐閣、1964年)
文献(5)坂口修平『プロイセン絶対王政の研究』(中央大学出版部、1988年)
文献(6)高柳信一『近代プロイセン国家成立史序説』(有斐閣、1954年)
文献(7)フリッツ・ハルトゥング他『伝統社会と近代国家』(岩波書店、1982年)
文献(8)成瀬治『絶対主義国家と身分制社会』(山川出版社、1988年)
文献(9)吉岡・成瀬編『近代国家形成の諸問題』(木鐸社、1979年)
文献(10)馬場哲『ドイツ農村工業史』(東京大学出版会、1993年)
文献(11)藤瀬浩司『近代ドイツ農業の形成』(御茶の水書房、1967年)
文献(12)高橋清四郎『ドイツ商業史研究』(御茶の水書房、1977年)
文献(13)石部雅亮『啓蒙的絶対主義の法構造 プロイセンの一般ラント法の成立』(有斐閣、1969年)
文献(14)クルト・フォン・ラウマー『自由と国家権力』(未来社、1970年)

第一四章の課題

■課題一 ハプスブルク帝国のこの時代の歴史について、文献(6)、文献(7)、文献(8)で確認せよ。
■課題二 とくにオーストリアの啓蒙主義について、文献(1)と文献(9)で調べよ。
■課題三 ドイツとフランス革命の関係について、文献(2)、文献(3)、文献(4)、文献(5)、文献(10)から考察せよ。

文献(1)丹後杏一『オーストリア近代国家成立史 マリア・テレジア、ヨーゼフ二世とヨーゼフ主義』(山川出版社、1986年)
文献(2)坂井榮八郎『ゲーテとその時代』(朝日出版社、1996年)
文献(3)ジャック・ゴデショ『反革命 理論と行動』(みすず書房、1986年)
文献(4)浜本隆志『ドイツ・ジャコバン派』(平凡社、1991年)
文献(5)フリードリヒ・クリティアン・ラウクハルト『ドイツ人の見たフランス革命』(白水社、1992年)
文献(6)進藤牧郎『ドイツ近代成立史』(勁草書房、1968年)
文献(7)矢田俊隆『ハプスブルク帝国史研究』(岩波書店、1977年)
文献(8)ハンス・コーン『ハプスブルク帝国史入門』(恒文社、1982年)
文献(9)E.マホフスキー『革命家皇帝ヨーゼフ二世 : ハプスブルク帝国の啓蒙君主 : 1741-1790』(藤原書店、2011年)
文献(10)ヘルムート・ハーシス『共和主義の地下水脈 : ドイツ・ジャコバン派1789-1849年』(新評論、1990年)

第一五章の課題

■課題一 ドイツの一八世紀の社会と文化について、文献(1)と文献(2)で概観せよ。
■課題二 市民社会の概念について、文献(3)と文献(4)から批判的に考察せよ。
■課題三 近代ドイツの精神史について、文献(5) を参照せよ。

文献(1)W・H・ブリュフォード『18世紀のドイツ ゲーテ時代の社会的背景』(三修社、1974年)
文献(2)マックス・フォン・ベーン『ドイツ一八世紀の文化と社会』(三修社、1984年)
文献(3)マンフレッド・リーブル『市民社会の概念史』(以文社、1990年)
文献(4)R・コゼレック『批判と危機 市民的世界の病因論』(未来社、1989年)
文献(5)村岡晢『近代ドイツの精神と歴史』(創文社、1981年)

『世界歴史体系 ドイツ史 二』(山川出版社)に依拠。