ドイツ古代・中世史

中山 元

1 古代ゲルマン時代
1.1 先史時代
 1.1.1 原始時代のドイツ
 1.1.2 旧石器時代後期の狩猟技術の発展
 1.1.3 旧石器時代人の生活
 1.1.4 新石器革命と地方文化圏の形成
 1.1.5 農牧経済の発生と普及
 1.1.6 新石器時代農牧民の経済生活の水準と社会
 1.1.7 青銅器時代から鉄器時代へ
 1.1.8 先史社会の構造
 1.1.9 ゲルマン人の登場と中央ヨーロッパへの進出
1.2 古代ゲルマン時代
 1.2.1 文献資料と発掘資料
 1.2.2 定住形態と耕地形態
 1.2.3 農牧生活と農業技術
 1.2.4 階層分化
 1.2.5 政治組織
 1.2.6 従士制
1.3 古代ゲルマン社会の実像 一つの実例
 1.3.1 フェーダーゼン−ヴィールデの定住史
 1.3.2 住居の形態と規模
 1.3.3 経済生活
 1.3.4 社会構造構造とその変動
1.4 支配から民族大移動へ
 1.4.1 ローマの支配とゲルマン人
 1.4.2 ローマ文化の影響
 1.4.3 ローマ・ゲルマン通商路
 1.4.4 ゲルマンの移動と侵入
 1.4.5 部族国家の形成
 1.4.6 ドイツ諸部族の形成
2 フランク時代
2.1 メロヴィング朝フランク王国の成立とその支配
 2.1.1 フランク人とドイツ地域のゲルマン人
 2.1.2 クローヴィスとその出自
 2.1.3 五世紀の状況とドイツ諸地域
 2.1.4 クローヴィスの受洗と王国の拡大
2.2 王国の分割とアウストラシア
 2.2.1 王国の分割とドイツ諸地域
 2.2.2 アウストラシアと豪族の台頭
 2.2.3 ライン右岸地方の状況
 2.2.4 アウストラシアの東部遠征 ザーモとラードゥルフ
2.3 アレマニア、バイエルン、オストフランケン
 2.3.1 アレマン人の動向
 2.3.2 バイエルン人の形成
 2.3.3 伯と大公
 2.3.4 カロリング家の台頭
 2.3.5 オストフランケンの成立
2.4 メロヴィング朝フランクからカロリング朝フランクへ
 2.4.1 カール・マルテルによるイスラム勢力の撃退
 2.4.2 アイルランド、スコットランド出身の修道士たちによる布教
 2.4.3 「ドイツ人の使徒」ボニファティウスの布教
 2.4.4 カロリング朝フランク王国の成立
2.5 フランク大帝国とカール大帝の統治
 2.5.1 カール一世の征服戦争
 2.5.2 アレマニア、バイエルン、ザクセン
 2.5.3 西ローマ帝国の復興とカールの帝権
 2.5.4 キリスト教帝国としてのカロリング帝国
 2.5.5 領主制と封建制の萌芽的な形成
2.6 内乱から大帝国の分割へ
 2.6.1 カロリング大帝国の分裂と崩壊
 2.6.2 ルートヴィヒ敬虔帝の教会立法
 2.6.3 バイエルンの王ルートヴィヒと敬虔帝の死
 2.6.4 フォントノワの戦いとストラスブールの宣誓
 2.6.5 ヴェルダン条約からメルセン条約へ
2.7 東フランク−初期ドイツ王国の形成
 2.7.1 後継者たちの時代
 2.7.2 指導的な貴族の台頭−バイエルンとフランケン
 2.7.3 辺境防衛と有力家門の登場
 2.7.4 アルヌルフからルートヴィヒ四世へ
 2.7.5 転換期としてのコンラート一世の時代
3 ザクセン朝下の王国と帝国
3.1 東フランク王国の再建と統合
 3.1.1 ハインリヒ一世の国王選出
 3.1.2 もうひとりの国王
 3.1.3 ハインリヒ四世による東フランク王国の再統合
 3.1.4 不可分の統一王国へ
3.2 オットー一世と皇帝権の獲得
 3.2.1 アーヘンの即位儀礼
 3.2.2 続発する反乱とその平定
 3.2.3 レヒフェルトの勝利と東邦政策
 3.2.4 ローマでの皇帝戴冠
 3.2.5 オットーの統治活動と王国教会
3.3 ローマ帝国の復興へ
 3.3.1 オットー二世と王国の危機
 3.3.2 皇帝政策への重点移動
 3.3.3 テオファーヌの摂政統治
 3.3.4 オットー三世のイタリア遠征と皇帝戴冠
 3.3.5 「ローマ帝国の復興」の理念
 3.3.6 オットー三世の東方政策とポーランド、ハンガリー教会の成立
 3.3.7 皇帝の夭折と帝国支配の挫折
3.4 王国支配の集権化と王国教会の体制的支配
 3.4.1 ハインリヒ二世のもとでの新たな出発
 3.4.2 神権的王権の支配強化へ
 3.4.3 国王支配の基盤としての王国教会
 3.4.4 ハインリヒ二世の対外政策
4 叙任権闘争の時代
4.1 初期中世における皇帝支配の頂点
 4.1.1 ザーリアー朝の始まり
 4.1.2 コンラート二世
 4.1.3 コンラート二世の皇帝支配
 4.1.4 ハインリヒ三世のドイツ支配
 4.1.5 東方諸国に対する関係
 4.1.6 イタリア遠征と三教皇の罷免
4.2 一一世紀の社会的景観
 4.2.1 三身分からなる社会
 4.2.2 貴族の家と支配の構造変化
 4.2.3 都市の形成と建築活動の活発化
4.3 教会改革の進展とザーリアー王権の危機
 4.3.1 教会改革の始まりと目的
 4.3.2 改革教皇権と教会改革の進展
 4.3.3 ハインリヒ三世末期の政治的動揺
 4.3.4 帝妃アグネスと大司教アンノによる摂取
4.4 ハインリヒ四世 教皇権との闘争の影に立つ王国
 4.4.1 多難のスタートとザクセンの反乱
 4.4.2 カノッサへの道
 4.4.3 分裂した王国と分裂した教会
 4.4.4 ハインリヒ四世の短い栄光から没落へ
4.5 ハインリヒ五世とヴォルムス協約
 4.5.1 ハインリヒ五世の国王就任と父への叛逆
 4.5.2 叙任権問題への争点の収斂と論争の展開
 4.5.3 一一一一年 一つのクライマックス
 4.5.4 王国の安定を求めるドイツ諸侯
 4.5.5 ヴォルムス協約とその意義
 4.5.6 ハインリヒ五世の死と一つの時代の終焉
5 初期シュタウフェン朝
5.1 「シュタウフェンの時代」の始まり
 5.1.1 ドイツ史における「シュタウフェン」のイメージ
 5.1.2 ロータル三世−ヴォルムス協約後のライヒと王権
 5.1.3 コンラート三世の選出とその統治
5.2 フリードリヒ・バルバロッサの登場
 5.2.1 ライヒの再統合
 5.2.2 ヴェルフェンとの和解
 5.2.3 バルバロッサの皇帝理念
5.3 帝国イタリア支配を目指して
 5.3.1 第二回イタリア遠征とイタリア統治プログラム
 5.3.2 イタリア諸都市および教皇権との対立
 5.3.3 教皇との和解
5.4 ドイツ王国国制の発展
 5.4.1 領域支配の萌芽の形成
 5.4.2 ハインリヒ獅子公の訴訟
 5.4.3 帝国諸侯身分の成立とその意義
5.5 未完の仕事
 5.5.1 コンスタンツの和約
 5.5.2 バルバロッサ晩年におけるドイツとヨーロッパ
5.6 ハインリヒ六世と二重王権時代
 5.6.1 世襲帝国計画とシチリア王国占領
 5.6.2 二重国王選挙
 5.6.3 フリードリヒ二世の王権掌握
6 後期シュタウフェン朝
6.1 フリードリヒ二世の統治の開始
 6.1.1 ドイツ支配の安定化
 6.1.2 皇帝の戴冠
 6.1.3 十字軍
6.2 シチリア王国とドイツ王国
 6.2.1 国家観
 6.2.2 支配機構
 6.2.3 経済政策
6.3 ドイツ情勢
 6.3.1 ハインリヒ七世の統治
 6.3.2 ハインリヒ七世の廃位とヴォルムスの帝国会議
 6.3.3 宗教運動・托鉢修道会・教養の普及
6.4 「シュタウフェン時代」の終焉
 6.4.1 ロンバルディア諸都市との戦いと教皇との「決戦」
 6.4.2 ドイツ情勢とフリードリヒの死
 6.4.3 いわゆる大空位時代
 6.4.4 ライン都市同盟
7 ドイツ王国の国制の変化
7.1 国王=皇帝選挙と教皇権
 7.1.1 中世後期のドイツ
 7.1.2 ルードルフ・フォン・ハプスブルクの時代
 7.1.3 「跳躍選挙」
 7.1.4 ハインリヒ七世の皇帝戴冠
 7.1.5 ルートヴィヒ四世とアヴィニョン教皇権の闘争
 7.1.6 「レンス判告』と帝国法「リケット・ユーリス」
7.2 カール四世と金印勅書
 7.2.1 カール四世とルクセンブルク家の家門政策
 7.2.2 「金印勅書」と国王選挙規定
 7.2.3 選挙侯と国制
 7.2.4 十四世紀の文化
7.3 ドイツの周縁領域
 7.3.1 ドイツ騎士団国家の発展・展開
 7.3.2 騎士団国家の構成
 7.3.3 スイス誓約同盟の成立・発展
 7.3.4 スイスの対外関係
 7.3.5 一四〜一五世紀のイタリア情勢
 7.3.6 ルネサンス外交の舞台
8 ドイツと中欧
8.1 領邦都市の「連合体」国制
 8.1.1 領邦権力の興隆
 8.1.2 領邦都市の「連合体」国制
 8.1.3 都市と都市同盟
 8.1.4 帝国自由都市の没落
 8.1.5 ハンザ同盟
 8.1.6 北方商業圏の争覇
8.2 中世後期の都市民の生活
 8.2.1 手工業とツンフト
 8.2.2 親方・職人・徒弟
 8.2.3 初期資本主義
 8.2.4 大企業と企業家
 8.2.5 都市民の社会生活の諸相
8.3 ドイツと中欧情勢の変動
 8.3.1 教会大分裂
 8.3.2 ヴェンツェルの廃位とジギスムントの即位
 8.3.3 コンスタンツ公会議
 8.3.4 フス戦争とバーゼル公会議
 8.3.5 ドイツと中欧情勢の変動
 8.3.6 ブルゴーニュ公国の滅亡
 8.3.7 国制変化への対応
 8.3.8 ラントフリーデと帝国改革への動き
9 帝国の構造変化
9.1 マクシミリアン一世時代の帝国改革
 9.1.1 「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」
 9.1.2 永久ラント平和令
 9.1.3 帝国裁判所の設立
 9.1.4 帝国統治院と帝国クライス制
 9.1.5 帝国議会の整備
9.2 カール五世の理念と現実
 9.2.1 ハプスブルク家門政策の展開
 9.2.2 カール五世の出現
 9.2.3 第二次帝国統治院
 9.2.4 帝国施行令
 9.2.5 「ハプスブルグ帝国」の破綻
 9.2.6 中世的皇帝政策の終わり
10 宗教改革の時代
10.1 宗教改革の背景
 10.1.1 民間信仰
 10.1.2 改革前の教会の状況
 10.1.3 人文主義
10.2 改革の理念
 10.2.1 マルチン・ルター
 10.2.2 ウルリヒ・ツヴィングリ
 10.2.3 トマス・ミュンツァー
 10.2.4 再洗礼派
10.3 改革運動の展開
 10.3.1 ヴォルムス帝国議会
 10.3.2 諸都市における宗教改革
 10.3.3 農村の宗教改革
 10.3.4 西南ドイツの農民戦争
 10.3.5 チューリンゲン地方の農民戦争
10.4 改革の政治化
 10.4.1 領邦の宗教改革
 10.4.2 第一回シュパイアー帝国議会と党派の形成
 10.4.3 キリスト教都市同盟の成立
 10.4.4 第二回シュパイアー帝国議会
 10.4.5 アウクスブルク帝国議会とシュマルカルデン同盟
 10.4.6 シュマルカルデン戦争
 10.4.7 アウクスブルク宗教平和令
11 反宗教改革から三十年戦争へ
11.1 宗派対立の時代
 11.1.1 宗教平和令が残した問題
 11.1.2 「反宗教改革」のドイツ進出
 11.1.3 領邦国家と教会統治
 11.1.4 領邦等族制
 11.1.5 ドイツ経済の衰運
11.2 三十年戦争
 11.2.1 戦争勃発の背景
 11.2.2 宗教戦争としての局面
 11.2.3 スウェーデン戦争
 11.2.4 フランスの介入
 11.2.5 ヴェストファーレン講和条約
 
『世界歴史体系 ドイツ史 一』(山川出版社)に依拠。